2021/02/12 21:56
私が酒屋を継いでからこれまで、青梅という街は衰退の一途をたどってきました。
一時15万人いた人口は13万人を割るところまできています。
このような大きな時代の流れの中で、微力ではありますが、私はこの街に居を構える酒屋として、1つ1つできることを積み上げてきたように思います。
25歳で結婚し、一男二女に恵まれた私が力を入れたのは、この街を災害から守ること。子ども達の教育の場がよりよいものであること。そして酒屋としてできるまちおこしという3本の柱。
消防団に入団し、30代の時には消防団部長を務めました。
40代では一般社団法人青梅青年会議所理事長を経て、青梅市立第三中学校のPTA会長や地域の子供会の会長なども経験させていただきました。
青梅初のクラフトビールbar「青梅麦酒」の立上げにも尽力させていただき、オリジナルクラフトビール「VEPAR(ベイパール」が誕生しました。
青梅の中でも有数の田園地帯である木野下に住む仲間たちと「田んぼの会」を結成、作ったお米でオリジナル甘酒ブランドも立ち上げることができました。
2020年、この国を襲った新型コロナウイルスと、それに伴く学校への休業要請の中。
ご飯が食べられない子ども達が生まれないようにと始めた子ども弁当は108日間の間、たくさんの人たちに支えられ続けることができました。
地域を走り回る酒屋であるからこそ、できること。
青梅の街の酒屋の三代目として、これからもこの土地とともに生きていきたいと思っています。